不安と描写

村上龍の「空港にて」を再読した。

空港にて (文春文庫)

空港にて (文春文庫)

加藤典洋内田樹がよく村上龍を引用するからだが、結論から言うと、村上龍独特の風景と女性心理の描写のみの小説だった。トパーズに代表される「女性心理」の描写は苦手で「五分後の世界」や「愛と幻想のファシズム」などのような小説(もしくはエッセイ)の方が好きだ。前回読んだ際はあまり苦手意識なく読めたのだけれど。
※もっと言うと「超電導ナイトクラブ」も好きではない


村上龍は「空港にて」が自身の最高の短編小説だと帯に書いているが、こんなものではないと思う。



そういえば内田樹は「誤解して欲しくないが」や、「と言っているだけだ」や、文末の「〜を評価する文脈を私たちは獲得していない」などの村上龍(のエッセイ)っぽい言い回しを2002年ごろまではブログでたまに使っていた。加藤典洋の文体に村上龍の影響は見られない。

タテマエとホンネとはなにか


仕事帰りにドトールでホワイトデーのお返しを買い、コーヒーを飲みながら日経新聞をスキャンしてevernoteに移す作業をしようと席に座った。並びの席の3つ離れたテーブルに50才くらいのサラリーマンが「GE 世界基準の仕事術」を見ながら一生懸命に付箋になにか書きながら読みそれを貼り、しばらく進むと振り返って付箋とは別のカードに何かを記入する作業をしていた。

楽しそうな読書だと思った。そのカラフルな付箋には何を書いたのか。カードには何をまとめたのか聞きたかった。

ただ、その後スーパーで買い物をしながら思い返してみると「あの人は実践で苦労するだろうな」と思った。日本の企業は世界基準ではないからだ。成果や適正なプロセスは評価対象に直結しないし、何よりチームメイトのモチベーションがバラバラでは空回りして終わるだけだ。だからと言って無駄だと言いたいのではなく、苦労するだろうと言いたいだけだ。50才くらいという年齢も気になった。今から働き方を変えるのは大変だろう。でももしかすると全く僕の想像とは違う業態で働いている人かもしれないし、働いていない可能性もある。ただ、本当に楽しそうに真剣に読書をしていたのが印象に残ったのだ。

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加藤典洋さんの「日本の無思想」の第1部の途中までを読んでいるが、大戦後の日本の断絶や歪みが見事に解説されている。いろいろな考え方の人に読んで貰いたいが、特に政治的なポジションがない、憲法改正?知らねえなあという人は読んでも何も響かないと思う。

何故、日本はあの大戦を始め、終戦の判断をし、アメリカ占領下での憲法をどういう変節を持って受け入れて、戦後また55年体制をどうやって納得し支持したのか、この辺りに疑問がなければなんとも思わないかもしれない。


p79-80

僕達戦後の日本人は、いったんはガックリと膝を折り、アメリカなるものに完全脱帽する瞬間をもちました。でも、やがて占領が終わり、米兵の姿が見えなくなると、ちょっと具合が悪いな、と誰彼となく、思うようになります。ちょうど台風の間は頭を垂れて暴風に翻弄されていた稲穂が、台風が去るとふたたび頭をもたげるように、やがて自分の中に自尊心のうずきを感じるようになるのです。僕達はつまり、かつては征服者に完全脱帽し、全面的に屈服したのですが、占領が終わり、征服者が去ると、この事実をなかったことにしたくなりました。こうして、彼らのうちの何人かは、次のように考えます。いや、自分はあの時、アメリカに絶対帰依したのではない、たしかにそのようなしぐさは示した。でもそれは、帰依したふりをしたのにすぎない。うわべでは頭を下げたが、腹の中では面従腹背をきめていたのだ、と。あの絶対帰依はタテマエ上のことであって、ホンネでは、戦前以来の信念を保持していた。そう、あれはいまとなって考えてみれば、面従腹背だったのだ、と。彼らはそう考え、それを自分で信じるため、いわば、その時にはなかった「本心」を〝新設〟することにしたのです。


日本はなぜ徹底抗戦をしなかったのか、した場合のシミュレーションが村上龍の「5分後の世界」と「ヒュウガ・ウィルス」で描かれていますが、それはまた別の機会に書きます。


日本の無思想 (平凡社新書 (003))

日本の無思想 (平凡社新書 (003))

五分後の世界 (幻冬舎文庫)

五分後の世界 (幻冬舎文庫)

ヒュウガ・ウイルス―五分後の世界〈2〉

ヒュウガ・ウイルス―五分後の世界〈2〉

顰に倣う(ひそみにならう)

呉越の時代、呉王夫差の寵愛を一身に受けた美姫に西施という人がいた。
西施は「持病の癪」のせいで、歩くときに胸を抑え、眉をひそめていた。
その姿もまた美しく見え、その柔弱たる風情で彼女が呉王の寵を得たという風説が広まったために、後宮の女官たちはこぞって眉をひそめて歩くようになり、やがて呉国中のすべての女たちが眉をひそめて歩くようになった・・・というお話である。


寵愛を得ることができない女官たちが、(寵愛を得られない)自分と西施の位階差を「眉の動き」のうちにあると解釈したとき「顰」は呉国において文化資本に登録された。
であれば、なぜ教養は文化資産とみなされていたのに、みなされなくなったのか。

どうして仏文科は消えてゆくのか?(内田樹の研究室)http://blog.tatsuru.com/2006/12/01_1257.php


教養が文化資本ではなくなった理由も、だから簡単である。
現に日本社会で権力や威信や財貨や情報などの社会的リソースを占有している人々に教養がないからである。
私はそれが「悪い」と言っているのではない。
昔は、社会的上位者たちのかなりの部分は「たまたま」教養があった。
だから、下々のものは「教養があると社会の上層に至れるのだ」と勘違いしたのである。
もちろん、社会的上位者がその地位を占めたのは教養のせいではない。
それとは違う能力であるが、「西施のひそみにならう」ものたちはあわてて教養を身につけようとしたのである。
今日、社会的上位者には教養がない。
かわりに「シンプルでクリアカットな言葉遣いで、きっぱりものを言い切る」ことと「自分の過ちを決して認めない」という作法が「勝ち組」の人々のほぼ全員に共有されている。
別にこの能力によって彼らは社会の階層を這い上がったわけではない。
たまたまある種の競争力を伸ばしているうちに「副作用」として、こういう作法が身についてしまっただけである。
だが、「ひそみにならう」人々は、これが階層差形成の主因であると「誤解」して、うちそろって「シンプルでクリアカットな言葉遣いで、きっぱりものを言い切り」、「決して自分の過ちを認めない」ようになった。
そうして教養が打ち捨てられたのである。


以前は位階差が教養の差にあると見なされていたが、現在の上位階級は教養がなく「シンプルクリアカットな言葉遣い」「自分の過ちを認めない」振る舞いをするため、位階差はその振る舞いにあると下位層が解釈したためである。






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崖を登る比喩

加藤典洋さんの崖とロープの比喩が、引っかかる。

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言語表現法講義 (岩波テキストブックス)

言語表現法講義 (岩波テキストブックス)

里山

故郷の盛岡市近郊には里山がない。針葉樹林ばかりの山はある。

温暖な地方の里山のある風景を見ると羨ましい。
 
岩手では紅葉が美しい山もあるが大抵は針葉樹林が連なるつまらない山だ。ただただ杉やヒバ、モミノキ、松が生え、雪が積もったらモノトーンを半年も続けるからつまらない。
つまらないというか、たまらない閉塞感がある。春が来て道路から雪がなくなるとモノトーンの世界は途切れるけれど。
 
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駿河湾

東名高速からみると、富士宮市は富士山から駿河湾へと連続するなだらかな平面で構成された地形であるのがわかる。これをみると、随分とでっぱりもへこみもない、つまらない地形だなと、水田か何かを作るにはもってこいじゃないかと思う。

ただし水田はあまりなくて、畑が多い。水田はもっと広い平面、例えば大きな河の河口付近が効率が良いに決まっている。棚田のような水田はよほどの必要があって作るのだろう。

天城を越えて河津に入ったら、途端に棚田が見えた。茶畑ではなく水田が必要なのだ。



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伊豆半島は初夏のような陽気だ。東京はまだ冷たい雨なのだろうか。




ため息

ため息(リスト)

ため息(リスト)

  • フジ子・へミング
  • Classical
  • ¥250


リストの「ため息」。トヨタのCFで聴いたら買いたくなった。iTunesは便利だ。


http://youtu.be/UnTfED5A1yE

タイトルがわからなかったので、当てずっぽうで「水上の音楽」かなと思って検索したら全く違う曲だった。