村上春樹 『かえるくん、東京を救う』

村上春樹の『かえるくん、東京を救う』を再読した。

15年前に読んだ際の記憶は殆どない。「神の子どもたちはみな踊る」は神戸の震災(1995/1/17)についての短編小説集で、1999年に「新潮」に掲載され2000年に単行本化された。発行後すぐに読んだが「震災」というモチーフが共通している短編集というのは買ってから気付いた。村上春樹の「アンダーグラウンド」(1996年)も読んでいない。小説は長編・短編に関わらず、「実際の出来事」とは関係のないものを読みたい(読みたかった)からだ。

とは言え発行当時も今回も結局は読んだわけだけれど、短編集のなかに「流木の焚き火についての短編があったな」程度の記憶で、「かえるくん」は例えば「シドニーのグリーンストリート」のような話しだっけ?という感じで読み始めたのだが、「責任と名誉」について書かれた小説だった。最初に読んだ時はそんな視点では読まなかった。

p151-
片桐がアパートに部屋に戻ると、巨大な蛙が待っていた。二本の後ろ脚で立ち上がった背丈は2メートル以上ある。体格もいい。

この冒頭はカフカの『変身』っぽいのだけれど、主人公の片桐がかえるくんになるのではなく、かえるくんが家で帰りを待っていたのだけれど。

p155-
「ねえ、かえるさん」と片桐は言った。
「かえるくん」とかえるくんはまた指を一本立てて訂正した。
「ねえ、かえるくん」と片桐は言い直した。「あなたを信用していないわけではありません。ただ私にはまだよく事態がつかめていないんです。今ここで何が起こっているのか、理解できていないんです。それで少し質問してもいいですか?」
「もちろんもちろん」かえるくんは言った。

村上春樹の小説ではこのように異世界のものたびたびでてくるが、ひとしきりすると登場人物たちはこれを受け容れる。突然部屋に出現した当の巨大な蛙に、「何が起きているのか」質問してしまっている。

かえるくんは神戸の震災の翌月1995年2月15日に部屋に現れて、風采の上がらない信金職員の片桐に「東京で起きる巨大地震を一緒に防いで欲しい」という。

p157-
「とてもとても大きな地震です。地震は2月18日の朝8時半頃に東京を襲うことになっています。つまり3日後ですね。それは先月の神戸の地震よりも更に大きなものになるでしょう。その地震による死者はおおよそ15万人と想定されます。(中略)震源地は新宿区役所のすぐ近くいわゆる直下型の地震ですね」
(中略)
「それでつまり」と片桐は言った。「あなたがその地震を阻止しようと?」
「そういうことです」とかえるくんはうなずいて言った。「その通りです。僕が片桐さんと一緒に東京安全信用金庫新宿支店の地下に降りて、そこでみみずくんを相手に闘うのです」


かえるくんによれば、みみずくんは新宿の地底にいる巨大なみみずで、村上春樹の小説にたびたび出てくる「邪悪なもの」で『1973年のピンボール』でジェイが「囲まれているって言ってもいい」と言っている存在の比喩なのだろう。

かえるくんは、片桐を説得する。そして次第にかえるくんを「信用してもいいような気」になるのだ。



p164
「(中略)正直に申し上げまして、あなたはあまり風采があがりません。弁も立たない。だからまわりから軽く見られてしまうところもあります。でもぼくにはよくわかります。あなたは筋道がとおった、勇気がある方です。東京広しといえども、ともに闘う相手としてあなたくらい信用できる人はいません」
p165-
片桐にはわからないことだらけだった。しかし彼はなぜか、かえるくんのいうことをーその内容がどれほど非現実的に響いたとしてもー信用してもいい気がした。
かえるくんの顔つきやしゃべり方には、人の心に率直に届く正直なものがあった。信用金庫のいちばんタフな部署で働いてきた片桐には、そういうものを感じとる能力が、いわば第二の天性として備わっていた。
p169-
片桐は溜息をついた。そして眼鏡をはずして拭いた。「正直なところあまり気は進まないけれど、だからといってそれを避けることはできないのでしょうね」
 かえるくんはうなずいた。「これは責任と名誉の問題です。どんなに気が進まなくても、僕と片桐さんは地下に潜って、みみずくんに立ち向かうしかないのです。もし万が一闘いに負けて命を落としても、誰も同情してはくれません。もし首尾よくみみずくんを退治できたとしても、誰もほめてはくれません。(中略)それを知るのは、僕と片桐さんだけです。どう転んでも孤独な闘いです。


かえるくんは好戦的なかえるではなく、文学を愛する蛙のようで、様々な引用をふまえて片桐に話しかける。
p166
正直に申し上げますが、ぼくだって暗闇の中でみみずくんと闘うのは怖いのです。長いあいだぼくは芸術を愛し、自然とともに生きる平和主義者として生きてきました。闘うのはぜんぜん好きじゃありません。でもやらななくてはならないことだからやるんです。
p166
ニーチェが言っているように、最高の悟性とは、恐怖を持たぬことです。
p169
ジョセフ・コンラッドが書いているように、真の恐怖とは人間が自らの想像力に対して抱く恐怖のことです。
p172-
ぼくは一人であいつに勝てる確率は、アンナ・カレーニナが驀進してくる機関車に勝てる確率より、少しましな程度でしょう。
p180
アーネスト・ヘミングウェイが看破したように、僕らの人生は勝ち方によってではなく、その敗れ去り方によって最終的な価値を定められるのです。
p181
フョードル・ドストエフスキーは神に見捨てられた人々をこの上なく優しく描き出しました。神を作り出した人間が、その神に見捨てられるという凄絶なパラドックスの中に、彼は人間存在の尊さを見いだしたのです。



そして地震が起きるという1995年2月18日の前日、片桐は路上で肩を撃たれて気を失う。病院のベッドで気がつくと既に地震が起きるはずだった時間は過ぎていた。地震は起きなかったのだ、そして片桐は撃たれていなかった。

どうなっているのだろう。


p179-
 片桐は言った。「約束どおり真夜中にボイラー室に行くつもりでいたんだ。でも夕方に予期せぬ事故にあって、この病院に運び込まれてしまった」
 かえるくんはかすかに首を振った。「よくわかっています。でも大丈夫、心配することはありません。片桐さんはぼくの闘いをちゃんと助けてくれました」
p180-
「ぼくらは死力を尽くしました。ぼくらは……」、かえるくんはそこで口のをつぐんで、 大きく息をついた。「ぼくと片桐さんは、手にすることのできたすべての武器を用い、すべての勇気を使いました。闇はみみずくんの味方でした。片桐さんは運び込んだ足踏みの発電機を用いて、その場所に力のかぎり明るい光を注いでくれました。


撃たれたと思っていた片桐は撃たれていなかった。昏倒し病院のベッドの上で見た夢の中でかえるくんと一緒に闘ったというのだ。


p182
「でもね、片桐さん」
「なんだい?」
「ぼくは純粋なかえるくんですが、それと同時にぼくは非かえるくんの世界を表象するものでもあるんです」

かえるくんは、かえるくんであると同時に「非かえるくん」つまりみみずくんと表現されている悪意をも表象しており、そしてそれ(かえるくん)は混濁の中に戻っていく。
私たちの住む世界には、悪意が存在し、「1973年のピンボール」のジェイによればとり囲まれている。


p96 村上春樹1973年のピンボール」(1980年)
 ジェイは両切の煙草の先を何度かカウンターで叩いてから、口にくわえて火を点けた。
「そうさ、猫の手を潰す必要なんて何処にもない。とてもおとなしい猫だし、悪いことなんて何もしやしないんだ。それに猫の手を潰したからって誰が得するわけでもない。無意味だし、ひどすぎる。でもね、世の中にはそんな風な理由もない悪意が山とあるんだよ。あたしにも理解できない、あんたにも理解できない。でもそれは確かに存在しているんだ。取り囲まれてるって言ったっていいかもしれないね。」


かえるくんは「芸術を愛し、自然と共に生きる平和主義者」で「責任と名誉」により、私たちを取り囲む悪意であるみみずくんと闘ったのですが、同時に非かえるくん=みみずくんをも表象している。

それは「混濁」しているが、例えば地震のような形で表象した時にそれに「責任と名誉」によって対峙しなければいけないと感じる人間がいるのだ。

私はこれまで一度もそのような対峙をしたこともないし、対峙をしなければならないと感じたこともなかった。

かえるくんのような存在に促された時に対峙するのか、それはわからない。が村上春樹によれば、それは混濁しながら存在し、また私たちを取り囲んでいる。

内田樹がいうように、歩哨=センチネルの役割を自身の責任と感じて対峙する人もいるが、それは誰もが気づく形で行われるものではなく、また名誉を得られる行為でもない。各々が自らの名誉と責任において行う「雪かき」なのだ。

そう、東京に雪が降ったなら誰かが歩道の雪かきをしなければならない。普段は降らないし、雪かきに慣れていないかもしれないが、誰かがやらなければならない。それを自ら行うかなのだ。
機関車に一人で対峙するアンナ・カレーニナのように。



「人生は勝ち方によってではなく、その破れ方によって最終的な価値を定められる」というヘミングウェイの言葉で示されているのは、責任と名誉において「やらなければならないことをやる」過程の話なのだろう。

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神の子どもたちはみな踊る (新潮文庫)

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1973年のピンボール

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アンナ・カレーニナ〈上〉 (新潮文庫)

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