結局

結局、ティファールは買い換えることにした。次は10年以上使えるように、メラミンスポンジで洗ったりしないようにコーティングを剥がさないように大事に使いたい。


結局のところ、文章を書くというのは生き方そのもので、真剣に生きていなければうわっ滑りな文章になるという事だ。

それでは、真剣に生きるというのはどういう生き方だろう。

iOSのアップデート

iOSのアップデートを行った。



先ほど書いたようなことは、ブログ開設当初のから分かっていたことで、自分でも分かっていたことで、じゃあ何故再度同じところをぐるぐる回るかというと、進歩も反省もないから、というより「考えない」であるとか「どう思われるのか」が身に沁みておりなかなか引きはがせないということに尽きるのだ。


それだけ

ティファールの中華鍋を料理に使っているのだが、なんとティファールなのに焦げ付くようになった。ティファールもフッ素加工がなければ当然焦げ付くしそれは知っていたんだけれど、でも実際そうなってみるとなんだか納得がいかないものだ。

よく、安いフッ素加工の鍋はすぐに焦げ付くようになるとかレビューを見るけれども、実際そうなってみると買い直しを迷ってしまう。
おそらく買い直すだろうけれど。今度はメラミンスポンジを使って洗ったりするのをやめよう。鍋も毎日使って、毎日きれいに洗ってしまっていると愛着が湧いてしまう。くだらないことだけれど、でも新しいティファールを買ってしまったら、古いを捨てるわけで、今まで鍋としてずっと一緒に料理を作ってきた鍋をゴミ捨て場に捨てるのが忍びない。

あ、アウトドア用にとっておくって手があるな。でもキッチンの戸棚にそんなに入るだろうか…。アウトドア用品を入れておく棚に入るだけにして捨てるのかな。いずれにせよ、ちょっと勿体ないと思ってしまう。

しつこいが、本当に迷うので何度も書いてしまう。


とかいうどうでもいい文章だと文字数が書けるのだけれども。いや文字数の問題ではなく、なんだか頭の中が空っぽになっているんじゃないかと思うくらい、本を読んでも頭に入ってこない。実はここ2週間くらいそうだ。日本の無思想を読了せずに今まで読んだ本を再読したりしているので、まったく読了した本というのが増えない。

急に頭がぼんやりする病気ってあるのか。いや、あるんだろうけれどなんだか環境のせいにしているだけのような気がする。

それで今、仕事帰りにドトールでこのどうでもいい文章を書いているけれど、以前GEの本を読んでいた男性がまた今日も紀伊国屋で買った本を二冊楽しそうに読んでいた。なぜ同じ人と気づいたかというと、ポストイットをテーブルにおいて読んでいたからだ。そう、本を読みたければ読めばいいのだし、文章を書きたければ、書けばいいんだけれども、書くことに対してなんというか雑念が多い。

雑念が多いのは今始まったことではないだろう。

と、書いているうちに「書けない自分は恥ずかしい。自分の考えを文章に書けるようになりたい。」という当初の欲求を想い出した。なにも本を読んで引用して書く必要もなく、自分で考えて文章を書けば良い。それだけなんだけれども、例えばかえるくんもそうだけれども、「いやそうじゃなくて、何かモヤモヤしたものが頭に去来しているが、これが文章にならないものか」と考えているうちに、どうでもいい引用をして、さらにいうと加藤典洋の大河に合流する支流の例えのように、聞いた風な結びの言葉を書いてしまっている…。これ、本末転倒で、例えば本の頁の上のところに「そんなこと、なんの根拠でこういうことが言えるの?どういうことかわからない」と言ったような、頭の中に兆したような事を文章にしたいのだけれど。

ではそうすればいいのだけれど、どうすればいいのか。とにかく、書けるようになるには書く、読めるようになるには、読めば良い。どう思われるのかは、どうでもいい事だと一旦保留すればいいのだ。





今、書いてみて思い出した。こういう落書きというか、小学生レベルではない、自分の考えを伝えることができる文章を書きたかったのだ。

ただし、考えていればの話。ドトールから帰ってくる途中で、「全く考えないで生きているので、考えることに頭が耐えられないのではないか」と思い当たる。

考えを文章にすることができない、と書いてみて、いや文章にすることで自分が何を考えているのかわかるのだったと思い当たる。つまり、あると思っている「自分の考え」なんかない。モヤモヤしたなんとなくがあるだけ、思考はそこから文章を書かないと表出してこない。



業務報告書とは全く違う

自分で考えてテキストを書くことは、業務報告書の文章を書くことと全く違うんですね。


報告書をプリントアウトして見直していたら誤字が何ページかありました。明日、プリントアウトしなおさないといけません。カラー印刷しなければ良かったです。


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写真がもっと好きになる。 菅原一剛の写真ワークショップ。

写真がもっと好きになる。 菅原一剛の写真ワークショップ。

村上春樹 『かえるくん、東京を救う』

村上春樹の『かえるくん、東京を救う』を再読した。

15年前に読んだ際の記憶は殆どない。「神の子どもたちはみな踊る」は神戸の震災(1995/1/17)についての短編小説集で、1999年に「新潮」に掲載され2000年に単行本化された。発行後すぐに読んだが「震災」というモチーフが共通している短編集というのは買ってから気付いた。村上春樹の「アンダーグラウンド」(1996年)も読んでいない。小説は長編・短編に関わらず、「実際の出来事」とは関係のないものを読みたい(読みたかった)からだ。

とは言え発行当時も今回も結局は読んだわけだけれど、短編集のなかに「流木の焚き火についての短編があったな」程度の記憶で、「かえるくん」は例えば「シドニーのグリーンストリート」のような話しだっけ?という感じで読み始めたのだが、「責任と名誉」について書かれた小説だった。最初に読んだ時はそんな視点では読まなかった。

p151-
片桐がアパートに部屋に戻ると、巨大な蛙が待っていた。二本の後ろ脚で立ち上がった背丈は2メートル以上ある。体格もいい。

この冒頭はカフカの『変身』っぽいのだけれど、主人公の片桐がかえるくんになるのではなく、かえるくんが家で帰りを待っていたのだけれど。

p155-
「ねえ、かえるさん」と片桐は言った。
「かえるくん」とかえるくんはまた指を一本立てて訂正した。
「ねえ、かえるくん」と片桐は言い直した。「あなたを信用していないわけではありません。ただ私にはまだよく事態がつかめていないんです。今ここで何が起こっているのか、理解できていないんです。それで少し質問してもいいですか?」
「もちろんもちろん」かえるくんは言った。

村上春樹の小説ではこのように異世界のものたびたびでてくるが、ひとしきりすると登場人物たちはこれを受け容れる。突然部屋に出現した当の巨大な蛙に、「何が起きているのか」質問してしまっている。

かえるくんは神戸の震災の翌月1995年2月15日に部屋に現れて、風采の上がらない信金職員の片桐に「東京で起きる巨大地震を一緒に防いで欲しい」という。

p157-
「とてもとても大きな地震です。地震は2月18日の朝8時半頃に東京を襲うことになっています。つまり3日後ですね。それは先月の神戸の地震よりも更に大きなものになるでしょう。その地震による死者はおおよそ15万人と想定されます。(中略)震源地は新宿区役所のすぐ近くいわゆる直下型の地震ですね」
(中略)
「それでつまり」と片桐は言った。「あなたがその地震を阻止しようと?」
「そういうことです」とかえるくんはうなずいて言った。「その通りです。僕が片桐さんと一緒に東京安全信用金庫新宿支店の地下に降りて、そこでみみずくんを相手に闘うのです」


かえるくんによれば、みみずくんは新宿の地底にいる巨大なみみずで、村上春樹の小説にたびたび出てくる「邪悪なもの」で『1973年のピンボール』でジェイが「囲まれているって言ってもいい」と言っている存在の比喩なのだろう。

かえるくんは、片桐を説得する。そして次第にかえるくんを「信用してもいいような気」になるのだ。



p164
「(中略)正直に申し上げまして、あなたはあまり風采があがりません。弁も立たない。だからまわりから軽く見られてしまうところもあります。でもぼくにはよくわかります。あなたは筋道がとおった、勇気がある方です。東京広しといえども、ともに闘う相手としてあなたくらい信用できる人はいません」
p165-
片桐にはわからないことだらけだった。しかし彼はなぜか、かえるくんのいうことをーその内容がどれほど非現実的に響いたとしてもー信用してもいい気がした。
かえるくんの顔つきやしゃべり方には、人の心に率直に届く正直なものがあった。信用金庫のいちばんタフな部署で働いてきた片桐には、そういうものを感じとる能力が、いわば第二の天性として備わっていた。
p169-
片桐は溜息をついた。そして眼鏡をはずして拭いた。「正直なところあまり気は進まないけれど、だからといってそれを避けることはできないのでしょうね」
 かえるくんはうなずいた。「これは責任と名誉の問題です。どんなに気が進まなくても、僕と片桐さんは地下に潜って、みみずくんに立ち向かうしかないのです。もし万が一闘いに負けて命を落としても、誰も同情してはくれません。もし首尾よくみみずくんを退治できたとしても、誰もほめてはくれません。(中略)それを知るのは、僕と片桐さんだけです。どう転んでも孤独な闘いです。


かえるくんは好戦的なかえるではなく、文学を愛する蛙のようで、様々な引用をふまえて片桐に話しかける。
p166
正直に申し上げますが、ぼくだって暗闇の中でみみずくんと闘うのは怖いのです。長いあいだぼくは芸術を愛し、自然とともに生きる平和主義者として生きてきました。闘うのはぜんぜん好きじゃありません。でもやらななくてはならないことだからやるんです。
p166
ニーチェが言っているように、最高の悟性とは、恐怖を持たぬことです。
p169
ジョセフ・コンラッドが書いているように、真の恐怖とは人間が自らの想像力に対して抱く恐怖のことです。
p172-
ぼくは一人であいつに勝てる確率は、アンナ・カレーニナが驀進してくる機関車に勝てる確率より、少しましな程度でしょう。
p180
アーネスト・ヘミングウェイが看破したように、僕らの人生は勝ち方によってではなく、その敗れ去り方によって最終的な価値を定められるのです。
p181
フョードル・ドストエフスキーは神に見捨てられた人々をこの上なく優しく描き出しました。神を作り出した人間が、その神に見捨てられるという凄絶なパラドックスの中に、彼は人間存在の尊さを見いだしたのです。



そして地震が起きるという1995年2月18日の前日、片桐は路上で肩を撃たれて気を失う。病院のベッドで気がつくと既に地震が起きるはずだった時間は過ぎていた。地震は起きなかったのだ、そして片桐は撃たれていなかった。

どうなっているのだろう。


p179-
 片桐は言った。「約束どおり真夜中にボイラー室に行くつもりでいたんだ。でも夕方に予期せぬ事故にあって、この病院に運び込まれてしまった」
 かえるくんはかすかに首を振った。「よくわかっています。でも大丈夫、心配することはありません。片桐さんはぼくの闘いをちゃんと助けてくれました」
p180-
「ぼくらは死力を尽くしました。ぼくらは……」、かえるくんはそこで口のをつぐんで、 大きく息をついた。「ぼくと片桐さんは、手にすることのできたすべての武器を用い、すべての勇気を使いました。闇はみみずくんの味方でした。片桐さんは運び込んだ足踏みの発電機を用いて、その場所に力のかぎり明るい光を注いでくれました。


撃たれたと思っていた片桐は撃たれていなかった。昏倒し病院のベッドの上で見た夢の中でかえるくんと一緒に闘ったというのだ。


p182
「でもね、片桐さん」
「なんだい?」
「ぼくは純粋なかえるくんですが、それと同時にぼくは非かえるくんの世界を表象するものでもあるんです」

かえるくんは、かえるくんであると同時に「非かえるくん」つまりみみずくんと表現されている悪意をも表象しており、そしてそれ(かえるくん)は混濁の中に戻っていく。
私たちの住む世界には、悪意が存在し、「1973年のピンボール」のジェイによればとり囲まれている。


p96 村上春樹1973年のピンボール」(1980年)
 ジェイは両切の煙草の先を何度かカウンターで叩いてから、口にくわえて火を点けた。
「そうさ、猫の手を潰す必要なんて何処にもない。とてもおとなしい猫だし、悪いことなんて何もしやしないんだ。それに猫の手を潰したからって誰が得するわけでもない。無意味だし、ひどすぎる。でもね、世の中にはそんな風な理由もない悪意が山とあるんだよ。あたしにも理解できない、あんたにも理解できない。でもそれは確かに存在しているんだ。取り囲まれてるって言ったっていいかもしれないね。」


かえるくんは「芸術を愛し、自然と共に生きる平和主義者」で「責任と名誉」により、私たちを取り囲む悪意であるみみずくんと闘ったのですが、同時に非かえるくん=みみずくんをも表象している。

それは「混濁」しているが、例えば地震のような形で表象した時にそれに「責任と名誉」によって対峙しなければいけないと感じる人間がいるのだ。

私はこれまで一度もそのような対峙をしたこともないし、対峙をしなければならないと感じたこともなかった。

かえるくんのような存在に促された時に対峙するのか、それはわからない。が村上春樹によれば、それは混濁しながら存在し、また私たちを取り囲んでいる。

内田樹がいうように、歩哨=センチネルの役割を自身の責任と感じて対峙する人もいるが、それは誰もが気づく形で行われるものではなく、また名誉を得られる行為でもない。各々が自らの名誉と責任において行う「雪かき」なのだ。

そう、東京に雪が降ったなら誰かが歩道の雪かきをしなければならない。普段は降らないし、雪かきに慣れていないかもしれないが、誰かがやらなければならない。それを自ら行うかなのだ。
機関車に一人で対峙するアンナ・カレーニナのように。



「人生は勝ち方によってではなく、その破れ方によって最終的な価値を定められる」というヘミングウェイの言葉で示されているのは、責任と名誉において「やらなければならないことをやる」過程の話なのだろう。

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神の子どもたちはみな踊る (新潮文庫)

神の子どもたちはみな踊る (新潮文庫)

1973年のピンボール

1973年のピンボール

アンナ・カレーニナ〈上〉 (新潮文庫)

アンナ・カレーニナ〈上〉 (新潮文庫)



僕らの人生は勝ち方によってではなく、その敗れ去り方によって最終的な価値を定められるのです。

僕らの人生は勝ち方によってではなく、その敗れ去り方によって最終的な価値を定められるのです。


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神の子どもたちはみな踊る (新潮文庫)

神の子どもたちはみな踊る (新潮文庫)

世界はもっと良くなるはずだという希望

昨日、仕事帰りに目黒川を通りかかったので夜桜見物をした。

 
目黒川はここ数年人気があるスポットのようで、今年も人がたくさん出ていたが去年よりも少なかったように思う。(表題のように)だから将来に希望が持てないということではなく、漠然と希望を持てたような時代が果たしてあったのかわからないが、90年以降、希望というムードなどまったくかんじられない状況ずっと続いているしこの後も同様なのではないだろうか。
 
 
何が言いたいのかというと、生まれてからずっと将来は良くなるという希望がない世代がバブル崩壊以降続いているが、そういう世代が社会へのコミットメントへのインセンティブをどうやって獲得しているのだろうと疑問に思ったのだ。
 
 
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社会へのコミットメントがないというのは、就業しないということや、育児放棄するという意味ではなく、「社会への関わりにおいてより良いものを目指そう」と思わないのではないか、という意味だ。
 
他人事のように言っているが、それぞれ個別には突破できない問題であるばかりではなく、それ以前にそもそも世界がよりよくなっていくという希望を経験したことがなければ、そもそも希望があること自体を知覚できないのではないかと思う。
 
希望は好景気とイコールではない。しかしかなりのウェイトを占めている。経済はマクロそのもののため、どのように働きかけていいのかわからないし、「こうすれば景気が良くなる」という方法論自体がない。
 
閉塞的な状況が常態となっている時代には希望ではなく、他のものがインセンティブとして必要なのかもしれない。
 
 
 
というようなことをよく村上龍は書いていますよね。
 
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希望という意味では私は小学校の時、このままゲーム機の性能があがったらどのような世界が訪れるのだろう、とわくわくしたし、宇宙旅行に大人になったら行ってみようとも思った。また医療技術の進化により両親がずっと死なずにいつまでも家族で過ごせるのではないかと思っていた。
 
こういう進化はもちろん今ある程度現実化しているし、更に進化を続けている。
 
前段では経済状況に明るい展望がないと希望が持てない、希望のかわりになるものが必要なのかも?と言った書き方をした。つまり、仮説として社会が良くなることへの希望があった時代があったが今はない。希望がないので社会へコミットメントするインセンティブが失われている、だが最初から希望がない世代では希望ではない他の何かがインセンティブになるのではないか、という主旨だ。
 
ただ、本当に希望もしくはその代替がなければいけないのだろうか。例えば生きていくのに必死で社会へのコミットメントなど考えたことがない層も確実にいるだろう。
 
希望とは、例えば経済状況がある条件を満たした際にだけあるように感じるものであり、それによって世界へのコミットメントが変わるのではなくあくまでもその時代を通り過ぎたあと、そういえば希望のようなものがあったと後から思う物なのかもしれない。