帽子につけるバッジ(5才)
盛岡は雪国なので子どもも毛糸の帽子を被る。
ある日、父は私の毛糸の帽子にエーデルワイスの白いバッジをつけてくれた。父の帽子は水色に白いラインだったが、自分の帽子は良く憶えていない。
スーパーカブ(5才)
消防車の本(4才)
何故思っていることが伝えられないのか
もっとバカ
論理的には整合的なのだが、『道徳の系譜』を書いたときにニーチェがまだ気づいていなかったことがあった。
それは「畜群」というのは「畜群を見ると吐き気がする」というような「貴族のマネ」も簡単に出来るタフな生物だった、ということである。
その一世紀後に「オレ、ニーチェ読んで、あのバカども殺さないかんつうことが分かったわけ」とほざく子どもたちが輩出するとは、かの天才も想像できなかったであろう。
大衆はニーチェが思っているより「もっとバカ」だったのである。
その惨憺たる帰結はご存知のとおりである。
内田樹「街場の現代思想 (文春文庫) 」(2004年) 文庫版 p220
まさしく俺のこと(私のこと)だ。どうしてわかるのかわからないが、おそらく周りはみんな気づいているんだろう。
ものすごく頭が悪いのだと思う。
いや頭が悪いというのもあるけれど、他の事が邪魔しているんだと思う。「こう見られたい」という格好つけたい気持ちが何事においても邪魔だし無駄だ。
「fairness」と「desency」
あたしは四十五年かけてひとつのことしかわからなかったよ。こういうことさ。人はどんなことからでも努力さえすれば何かを学べるってね。どんなに月並みで平 凡なことからでも必ず何かを学べる。どんな髭剃りにも哲学はあるってね、どこかで読んだよ。実際、そうしなければ誰も生き残ってなんかいけないのさ。
村上春樹 1973年のピンボール(1980) p93
観たいように観て、読みたいように読む
仕事でマニュアルを作って、実務をするスタッフに配布し説明する。それでもなかなか書いてあることが伝わらない。そのことについて長いこと悩んでいたし不満もあった。
先日自分も全く同じことをしていることに(ご指摘いただき)気づきショックを受けた。
ともするとテキストというのは、自分が読みたいようにしか読まない。読みたいようにしか読まれない。内田樹を引用するまでもなく自分で立証してしまった。自分のことはわからないものだ。
自分の死角(自分の能力の死角、欠陥)を見つめることは難しい。