もし僕らのことばがウィスキーであったなら
もし僕らのことばがウィスキーであったなら、もちろん、これほど苦労することもなかったはずだ。僕は黙ってグラスを差し出し、あなたはそれを受け取って静かに喉に送り込む、それだけですんだはずだ。とてもシンプルで、とても親密で、とても正確だ。しかし残念ながら、僕らはことばがことばであり、ことばでしかない世界に住んでいる。僕らはすべてのものごとを、なにかべつの素面(しらふ)のものに置き換えて語り、その限定性の中で生きていくしかない。でも例外的に、ほんのわずかな幸福な瞬間に、僕らのことばはほんとうにウィスキーになることがある。そして僕らは――少なくとも僕はということだけれど――いつもそのような瞬間を夢見て生きているのだ。もし僕らのことばがウィスキーであったなら、と。
村上春樹: もし僕らのことばがウィスキーであったなら(1999)
- 作者: 村上春樹
- 出版社/メーカー: 平凡社
- 発売日: 1999/12
- メディア: 単行本
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